特集:「アスリートのセカンドキャリア ~元プロ野球選手が語るデュアルキャリアとは~」

これからは「デュアルキャリア」の時代
思考力を持ってスポーツに取り組もう!

写真:奥村武博さん

これからは「デュアルキャリア」の時代
思考力を持ってスポーツに取り組もう!

奥村武博(おくむら・たけひろ)さん
岐阜県立土岐商業高校から、1997年ドラフト6位で阪神タイガースに投手として入団。けがに悩まされ続け、一軍に上がることなく4年目のオフに戦力外通告を受けた。
現役を引退し阪神の打撃投手を務めたが、1年で解雇。
2004年秋から公認会計士の受験勉強を始め、2013年、9回目の受験で見事に合格。元プロ野球選手として、初の公認会計士となる。
2017年、一般社団法人「アスリートデュアルキャリア推進機構」の代表理事に就任。
2019年に「株式会社スポカチ」を創業する。
  • 失点しなければ合格。それってピッチングに似てるな
  • 今のパフォーマンスを上げ、将来のキャリアにつながる。それが「デュアルキャリア」
  • 引退後のキャリアを輝かせないと、日本のスポーツ界全体の損失になってしまう

失点しなければ合格。それってピッチングに似てるな

——奥村さんは、元プロ野球選手として初めての公認会計士でいらっしゃいます。なぜ、公認会計士になろうと思われたのですか。

奥村 公認会計士を目指そうと思った理由はいくつかありますが、「元プロ野球選手が公認会計士になった前例はない」という点も、魅力的に感じました。引退したアスリートのキャリアに自分も何か貢献できないかとおぼろげながら考えていて、誰もやったことのないキャリアを選ぶことでロールモデルができ、選択肢を広げられるのではないかと思いました。

——勉強は大変だったのではないですか。

奥村 それまで野球漬けの人生でしたから、長時間机に向かったこともあまりなく、最初のうちは勉強すること自体が本当にきつかったです。同じところに座り続けるっていうのは、遠征で新幹線に乗ってる2時間半が最長でしたから(笑)。

——それでも、見事合格なさいました。何か勉強のコツのようなものを習得したのですか。

奥村 あることがきっかけで、急に勉強が楽しく感じられるようになったんです。

公認会計士試験の「短答式試験」は7割が合格の目安なのですが、7回目の受験の自己採点をしたときに、ちゃんとやっていれば合格水準を突破していたのに、ケアレスミスで7割を下回っていたことが分かりました。自滅で失点していたんです。

この「失点」が、私にとってのキーワードになりました。

『失点さえしなければ、合格(うか)る!』——いや、ちょっと待てよ。それって「ピッチングに似てるな」と、気付いたのです。それで「試験勉強と野球は似てる。根本は一緒や!」と感じるようになって、「今までやってきたやり方でいけば突破できるぞ」という感覚に変わっていきました。

ミスした原因を3つくらいに細分化して、その細分化した原因それぞれに合わせた対処法を考えていきます。そこから先は、出来なかった問題が解けるようになったり、分からなかったことが理解できるようになったりして、「上達していく楽しみ」を感じるようになりました。

——試験勉強で効果を発揮した方法論は、野球を通じてすでに得ていたのですね。

奥村 そうです。でも、それは私に限ったことではなく、スポーツ選手は、普段からの取り組みの中で、スポーツ以外の領域でも生かせる強みを自然と身に付けているはずなのです。

不甲斐ないピッチングをしたとき、当たり前ですが、その原因を分析しますよね。ヒットを打たれたのか、フォアボールが多かったのか。次に、ヒットを打たれた場面では、ストレートの球威が足りなかったのか、変化球の質が悪かったのかを突き詰めていって、最終的に「じゃあ、改善するにはどうすれば良いのか」を考えるわけです。

こうしたプロセスは、たぶん、スポーツ選手なら皆、無自覚・無意識のうちに普段からやっているのではないでしょうか。そして、「改善するにはどうすれば良いか」を考える瞬間から、前向き、ポジティブな思考に変わっていて、「前に進むしかない」というマインドに切り替わっていくのだと思います。このプロセス、このマインドセットこそ、スポーツ選手の一番の強みだと私は思っています。

今のパフォーマンスを上げ、将来のキャリアにつながる。それが「デュアルキャリア」

——奥村さんは、アスリートの「デュアルキャリア(dual career)」の重要性を訴えていらっしゃいます。「デュアルキャリア」とは、どういう考え方なのでしょうか。「セカンドキャリア」とは、どう違うのでしょう。

奥村 「セカンドキャリア」という言い方は、「現役時代と引退後のキャリアは別のもの」という“ブツ切り”の捉え方を前提にしています。私も、その「スポーツをやめてから次を考えればいいんだ」という認識でいて、引退後、本当に苦労しました。健康保険料が払えなくて、区役所に駆け込んで相談したこともあります。

こうしたことは、引退後のアスリートには当たり前のように起きます。次に進むスタートのタイミングでつまずいてしまい、目先のお金を稼ぐための狭い選択肢の中からしかキャリアを選べない。自分のやりたいことができないし、そもそもやりたいことが分からない、という状況になってしまいがちです。

それに対し、「デュアルキャリア」とは、スポーツとそれ以外を含めたトータルな人間としてのキャリアを同時に形成していくことを意味しています。スポーツ選手としてのキャリアは人生の中の一つの役割でしかなくて、長い目で見たキャリア設計であったり、スキルアップが、スポーツ以外の部分で必要になってきます。そのスポーツ以外の部分のキャリアがしっかりと形成されていれば、引退した後のキャリアにスムーズに移行できる、——これが「デュアルキャリア」の考え方です。

——では、デュアルキャリアを身に付けていくには、どうすればよいのでしょうか。

奥村 “デュアルキャリアづくり”をどのように実践していけばよいのかというと、2つのアプローチがあると考えています。

一つは、スポーツ以外の多くのことを経験したり、学んだり、趣味を広げたりして、「可能性の種を植える」ことです。高校時代に簿記を勉強していたことが公認会計士を目指すきっかけになった私のように、過去の経験の中から道が開けていくということはよくあることで、多くのことを経験したり、知っていれば、その分だけ自分の可能性や選択肢は広がっていきます。

あるいは、他の競技をやってみることも良いと思います。日本の場合、「○○道」という言い方があるように、一本の道に集中することが高く評価されます。しかし、他のものを排除してその道しか見ないと捉えるのではなく、その道を極めるためにいろいろな視点からの学びをいかに取り入れ、いかにパフォーマンスを高めていくか、というスタンスに切り替えることで、可能性を広げていくことができると思います。

もう一つは、しっかりと“思考力”を生かしながらスポーツに取り組むことです。私が野球選手時代に採り入れていた思考法が試験勉強に役立ったように、スポーツに取り組む考え方は他の領域に転用できるんです。ただ闇雲に言われたことだけやるとか、教わったままにやっていては、ただのイエスマンになるだけです。目的意識を持って、思考を伴いながらスポーツに取り組むことが、次のキャリアへの備えとして非常に重要だと思いますし、何よりも、思考力を働かせて取り組むことがスポーツのパフォーマンスを高めることにもつながります。

ただ、「引退後のことを考えて、今から思考力を生かしてスポーツに取り組んでほしい」と現役選手に言っても、誰もやらないでしょう。私は、現役のプロスポーツ選手によく「今のパフォーマンスを高めるために……」という言い方をします。それに続けて「目的意識から課題を取り出し細分化して、今やるべきことを考えて取り組んでいますか」とか、「経験からフィードバックしてどういうふうに次のステップアップにつなげていこうとしているのですか」ということを問い掛けます。思考力を生かしてスポーツに取り組むことの意味は、第一義的には、今のパフォーマンスを高めるところにあります。同時に、結果として、引退後に生かせるキャリアも育っていきます。この同時性・両義性が、「デュアル」キャリアの核心だといえます。

引退後のキャリアを輝かせないと、日本のスポーツ界全体の損失になってしまう

——奥村さんは、「デュアルキャリア」の考え方を広めていこうと、「アスリートデュアルキャリア推進機構」の代表理事に就き、さまざまな事業に取り組んでいらっしゃいます。取り組みを始めて、新たに気付いたことはありますか。

奥村 当初はアスリート個人の人生にフォーカスしていたのですが、最近強く思うのは、「アスリートの引退後のキャリアが輝かないことが、スポーツ業界全体にとってのマイナス要因になっている」ことです。

アスリートが引退後のキャリアに不安を持つようになると、「わざわざスポーツをやって高いレベルまで挑戦することが、長い目で見たとき、マイナスになるんじゃないか」と考える人が増えてくるでしょう。そうなると、そもそもスポーツを始める人が減ったり、優秀な人材がプロスポーツ界に入っていかなくなることで、プロスポーツのパフォーマンスが低下するおそれがあります。プロスポーツのパフォーマンスが低下すると、見ても楽しくないのでファンが離れていき、スポーツ界の収入も減って、負のスパイラルへと陥ってしまいかねません。

——アスリートの引退後のキャリアの改善は、スポーツ界全体で考えなければいけない問題だということですね。

奥村 その通りです。マネジメント層、指導者層を含め、スポーツに関わっている大人世代の人たちは、明日のスポーツ界と、明日のスポーツ界を担う子どもたち・若い世代のために、この問題に真剣に取り組んでほしいと願っています。

先ほど申し上げたように、日本では、引退後のキャリアを「セカンドキャリア」として捉え、現役時代のキャリアとは別のものだと考えがちです。しかし、本当は、スポーツに取り組むことがビジネストレーニングにもなっていて、次のキャリアで輝くためにもスポーツに取り組むことには大きな価値があるんです。そうした視点が、日本のスタンダードになってほしいと思っています。

奥村さんは、「現役時代と引退後のキャリアは別のもの」と考えるセカンドキャリアよりも、「アスリートとしてのキャリアはトータルな人間としてのキャリアの一つ」と考えるデュアルキャリアが重要と語る。そのためには、スポーツ以外にも多くのことを経験したり学んだりして「可能性の種を植える」こと、思考力を生かしてスポーツに取り組むこと。その結果、自身が引退した後のキャリア展望が開けていき、人生が輝いていく。

アスリートの人生が輝けばスポーツ人口の増加や優秀な人材の参加にもつながり、スポーツ界全体の発展に寄与する。——奥村さんのデュアルキャリア推進への思いには、そんな意味も込められている。